自分の病気が何なのかよくわかる十五の夜
今日は日曜日ということで朝から地元との少年少女を100人ほど集めたHIV啓蒙活動に立ち会った。このイベントはEGPAF(エリザベス グレーシャー小児エイズ基金)とホーマベイの厚生省との共同開催で場所は農村地帯にある遠隔地の診療所だった。そこの広場で運動会と文化祭の混合みたいなイベントを実施。プログラムは綱引きやダンスそれにディベート大会など。簡単にいうと「みんなで仲良く遊んで、楽しくHIVについて学ぼう!」みたいな集会だ。
ただ普通の運動会と違うのは参加者はみんなHIVキャリアの若者たちってところ。約100人近くの参加者が全員HIVキャリア。実はこの参加者全員がキャリアってところがポイントで。HIVの子供たちのタテと横のつながりを深めてもらい、同じ病気をもつ者でしか語れないような悩み、彼ら同士でしか築けないような関係をコーディネートすることが目的の一つだった。
前にも書いたけどボクの働くケニア、ホーマベイのHIVキャリアの割合は4人に1人。
これが日本のインフルエンザなら学級閉鎖になるレベルの割合だ。そして多くのHIVキャリアの若者たちはその事実を隠してたまま学校に通っている。なぜなら学校や地元で「深刻な差別」を受けるから。もちろん陰湿なイジメも、あからさまなイジメある。学校だけでなく地元社会や時には家族からも差別され見捨てられることもある。って...サクッと書いたけど、家族からも見捨てられちゃう場合って、どうなんマジで?(そこには複雑で深刻な事情がるんだけど、話が長くなるのでそれは次回にまわします。)
これは当の本人にとってはかなりキツイわけで。特に恋愛や結婚、自分の将来像をリアルに描くようになる思春期の若者にとってHIVキャリアであることはとても深刻。ちょっと想像してみてほしいでのだけれど。たとえばもしアナタが高校生だったとしてクラスの女子(または男子)がHIVキャリアだったらどうです?やっぱりキスとかSEXとかするのためらうよね?柔道の練習とかケンカとかするのもイヤだよね?もっとストレートに言えば怖いよね、たぶん。
逆にHIVの彼らからするといつも周囲の人間からそう思われてるってことで。友達や近所の人から"好き”とか”嫌い”じゃなくて”怖い”と思われる。そういう存在になってしまっているってこと。
尾崎豊はあの長編ロック「十五の夜」で
「自分の存在がなんなのか、わからなくなる十五の夜~」って歌ってたけど。
HIVの患者は基本的にARV(抗レトロウイルス薬)を毎晩(毎日)服用しなければならない。今日、参加していた若者たちは今夜も
「自分の病気がなんなのか、よくわかる十五の夜」
を過ごしてるんかな。
そして次回のブログは今回のイベントで出会った「二人の少年の話」です。
それではまた。
牛肉100g/37円、日清のインスタントラーメン30円、マンゴーなんと10円だぜ!
「今日のおかずは何にしようかしらん♪」
夕方5時過ぎて仕事終わりが近づくと晩メシのことが気になりはじめる。ストレス解消には美味い料理を作って、食べる。海外にいるとなんと言ってもこれが一番。
アフリカの田舎町でちゃんとした食材なんて手に入るの?と思ったそこのアナタ。ケニアをあなどってはいけませぬ。かくいうボクも赴任する前は食材には苦労するだろうと思ってたんだけど。それがなんとケニアは食材の王国だった。牛肉100g37円、アボガド1個50円、30円、甘くないマンゴーなら10円だ!ロシア産のキャビアとか松坂牛が食いてえ!とかワガママを言わなければ大概の食材が手に入るじゃないか?
さて仕事が終わって地元の市場にいくと、、、。
肉なら牛、鶏、山羊、羊、それに豚。魚はビクトリア湖から新鮮な白身魚、ティラピアや巨大魚ナイルパーチが水揚げされてきてて。それに山盛りの煮干しも売ってある!野菜は人参、ジャガイモ、トマトに玉ねぎといった王道野菜から味噌汁には欠かせないネギ、それに生姜やパクチーが。果物はまさにパラダイス。アボガド、マンゴーなど南国系の主力商品をはじめ珍しいとこではグゥワバもある。もちろんバナナやオレンジも。ちなみに酒はワインなら南アフリカ産が普通に売ってて、大きい街ならチリ産やフランス産もあって。ビールはTASKERってヤツがかなりイケてる。
加えて東アフリカはスパイスがめっちゃ豊富。理由は印僑とよばれるインド商人が昔から頑張ってるから。彼らが運んでくるインド、アジア系のスパイスはまさに本格派で、スーパーに行くとお惣菜コーナーにチャパティーやタンドリー?チキンが並んでて。おまけに日清のインスタントラーメン(カレー風味)も売ってたりする。でかしたインド商人魂!!
そして何と言っても極めつけはお米。「これって日本のお米じゃん!?」と思えるような、いわゆる短粒米を売ってる!ありがとう、でかしたのお百姓さん!!
ということで日本人の2大ソウル・フード「カレーライス」と「インスタントラーメン」も作り放題なんす。これでハウスのプライム・ジャワでもあれば最高なんだけどなあ。
結婚9年目で19才で5人の子持ちですけど、、、何か?
その日のボクは4回のHIV検査に立ち会った。
案内役の同僚から「次の被験者の部屋にいってみる?」といわれ検査スペースの中に入った。目のまえの二人はとても仲良さげに手を握っているカップルが座っている。
名前はジョセフ(仮)とエリザベス(仮)。結婚して9年目のカップルとのこと。
ジョセフは現在23才、エリザベスは19才、なんと5人の子持ちらしい。いろいろと早いのね。まあここはケニアだからなぁ。
コーディネーターが説明を続ける。
「さっき検査結果が出て、奥さんの方だけHIVポジティブ(陽性)だったのよ。それでも二人とっはてもポジティブ(前向き)よ。」(えっ、この場でダジャレですか?)人口の4人に1人がHIVのこの町ならそう珍しい話ではないかもしれないけれど。ボクには人生初の体験。19才の人妻(5人の子持ち)が目の前の検査でHIVポジティブになった。その直後、当事者の夫婦と会話するなんていままでの人生では一度もなかった。ボクもコーディネーターにならって気の利いたジョークでもと思ったけれど。まあ普段できないことは、緊急事態でもできない訳で。でも沈黙は気まずいので無理くりエリザベスに「やっぱり婚約の時は夫の家族から牛もらったの?」と質問してみた。(ちなみにケニアでは婚約には男性から牛を贈る習慣があるんですよ)
「ウチは貧乏だから3頭だった。」とジョセフが答える。
コーディネーターが「貧乏な家の子ほど早くに結婚するのよね。婚約費用が安いから。」と付け加える。10才で牛三頭と引き換えに結婚して、その後5人子供産んで、19歳でHIVになって。凄いよ、エリザベス。ここがケニアといっても、それは凄い。そしてとりあえず夫婦仲はいいみたいだし。それが救いだぜ。
その後、二人はコーディネーターから今後の生活についていろいろ指南を受けていた。
たとえばこんな話カンジで。
ーエリザベスはできるだけ早く近くの病院で精密検査を受けるように。
ー五人の子供にも、きちんとHIV検査を受けさせるように
ー処方されるARV(抗レトロウイルス薬)はきちんと飲むように。
ー今後セックスするときは必ずコンドームをつけるように!
ーもし6人目の子供が欲しくなったら医師に相談するように。
などなど。
一通り、説明を受けた夫婦は帰り支度を始めた。
「今日は貴重な時間をありがとう。」
隣にいた英国人医師のマイクが二人に別れの言葉をかけた。そして握手をした。
続いてボクも握手をした。HIVテストは指先から採血をするので、妻のエリザベスとの握手には一瞬ひるんだ。でもまあ隣のHIV専門医が握手をしているんだから心配ないのだろう。最後にエリザベスの手の感触がとても普通だったのが印象に残った。
ちなみに採血は基本的に左手でおこないます。そしてケニアで握手をする場合はかならず右手でやります。
国境なき医師団のお仕事 「HIV罹患率24%という事実」の現場
HIV罹患率24%という事実、これは実際に直面するとかなり重いです。
このホーマベイという地域は世界でも最も罹患率が高いエリアの一つ。
そしてHIV患者は基本的に長期入院はせずARV(抗レトロウイルス薬)を飲みながら
普通の生活をしている。ということはスーパーマーケットにいっても、市場を歩いてもそこにいる人の4人に一人はHIVにかかっているということで。ここに着任した当初はその非現実的な状況に若干、戸惑いを覚えたというのが正直な感想で。
そして医師団の仲間たちはHIV対策のため、日々医療施設が不足している農村部を中心にHIV検査と啓蒙活動を行ってます。ボクも活動内容のは把握のためにこの前、その活動に参加してきました。この活動には名前がついていてその名も「ムーンライト」思わず”ながら”?と思ってしまったのはちょっとマニアな人かもしれませんが、
それはさておき。
このムーンライトはその名が示すとおり夜に行われます。
昼間働いている男性は忙しくてなかなか検査が受けられない。それにHIVテストを受けに行くところを同僚や知人に見られたくない。そんな人たちを対象にしているので、日が暮れた夜の間、HIVの無料検査を実施するんですね。
そしてこれが現場。こんな風にテント内の個室で医療コーディネーターが採血しその場で検査。結果がわかるまでわずか15分です。検査を受ける側も、見学するボクも結果がでるまでドキドキの15分間。ポジティブ(陽性反応)がでたらガックリ、、、どころではないっすから。目の前で検査を受けている若者がポジティブかネガティブかすぐに結果がでます。「オレ、ここにいていいのか?」という戸惑いと「万一(というか1/4だけど)ポジティブだったら気まずいぞ。」とか「ネガティブでありますように!」とか、いろいんなコトバが頭の中で回っていました。
ちなみに検査結果をまっている間にコンドームのつけ方の実演が美人コーディネーターによって行われます。これもなかなか衝撃的。検査を受けてる若者も「お姉さん、ここで実演するんすか?」と驚きを隠せない様子で。微妙に緊張した空間がちょっと和やかな雰囲気になります。
そして結果発表!今回の若者は「ネガティブ(陰性)!」でした。良かった良かった。ただこの後、違う結果となった夫婦の検査に立ち会うことに。その話はまた次回。
やーっとケニアのホーマベイに着任
4月6日金曜日、ケニア・ホマベイ(Homabay Kenya)の
展開しているHIVプロジェクトに着任した。
いやぁ、ここまで実に長かった。
乗り物にのってる時間だけでも26時間。やっぱり地球は広いのね。
今週一週間の道のりを書き残しておくと、、、
-4月2日 東京発ーパリ到着
パリのホテルチェックイン23時、その後、近くのマックでチーズバーガーを食べる。
-4月3日 パリの国境なき医師団本部でHIVプロジェクトのブリーフィング
ここで同時期に着任する英国人医師マイク,研修同期のアメリカ人ミッシェルと合流。
-4月4日 パリからナイロビへ移動。ナイロビ到着。
ナイロビのホテルには22時ごろチェックイン。その後、マイクの希望で
スポーツバーに行きリバプールVSマンチェスターユナイテッドの試合をみる。
-4月5日 ナイロビのケニア本部で詳細ブリーフィング。
夜はナイロビのスラムプロジェクトで働いている日本人看護師のトモミさんと夕食。
ナイロビの有名店カーニバルでワニとかダチョウとか、いろいろ満喫。
-4月6日 ナイロビからホマベイへ車で移動。その間、7時間。
国道と走っていたらインパラがひょっこり顔出してきた。さすがケニア。
-4月7日 ホマベイ着任 前任のスウェーデン人サイモンから業務引継ぎ。
「最初の2ケ月は死ぬほど忙しいけど頑張ってね♡」とのアドバイス。
4月8日 本日もサイモンから業務引継ぎ。
比較的安全なこの地域も意外とヤバいという実情を聞かせてもらう。
さて明日、サイモンはスウェーデンに向かって出発。ボクは本格始動の予定。
とりあえず早く一人前の事務員にならねば、、、
「タカタくん、来週からケニアに行ってくれるかしらん。」
勤務地の「HomaBay」で画像検索するとリゾートチックな写真がちらほら。
とうとう「勤務先の内示・mission offer」メールが国境なき医師団の人事担当からやってきた。行先はケニア。内容はHIV対策プロジェクト、ボクの仕事は予算管理と人事業務全般で期間は9ケ月とのこと。
同期で研修をうけた仲間の何人かは既に南スーダンやナイジェリア、それにイラクといった若干騒々しい所に派遣されている。それにくらべるとケニアはかなり安定(stable area)している方だ。しかも派遣先の病院はアフリカ最大の湖、ビクトリア湖の近くにあるHomaBayという町にあるらしい。さっそくHomaBayでgoogle 検索してみたらいきなり湖畔のリゾートホテルの写真がでてきた。「…なんか国境なき医師団のイメージと違うよ。」というのが第一印象。とはいえケニアも長くつづいた内戦や部族間抗争、テロ、隣国ソマリアからの難民問題など厳しい状況にあることは間違いない。首都ナイロビは外務省の危険情報ではレベル3の退避勧告になってるし。またHomaBayエリアのエイズの罹患率も非常に高いらしい(だからこそHIVプロジェクトをやってるんだけど)。
そして一つだけ気になる点がある。それは出発が4月1日とメールに書かれてること。
でもって今日は3月23日。出発まで一週間ってこと。
「ってことはオレ来週の日曜日にケニアに赴任するのかしらん?」
覚悟はしていたけれど思っていたより若干、時間がない。ということで週明けの月曜日にまずは使い捨てコンタクトレンズと持病の「ぢの薬」を買いだめせねばなりませぬな。
ちょっと、しょっぱいゴハンの話
(パリでは外食も楽しいけれど、たまにはこんな食材を使って自炊するのも楽しかったりする。)
「今日の晩メシどこに行く?」一日の研修が終わるとメンバーの一人がSNS"what's up"のグループでみんなに声掛けしてくる。さてさて楽しいゴハンの時間のはじまり。国境なき医師団の本部オフィスはフランス革命で有名なバステューユ広場の近くにある。パリの真ん中あたりだ。つまりうまい料理屋はそこらへんに溢れそていた。でも新人研修のメンバーにとって晩御飯はちょっとした問題だった。
何が問題って?イスラム教徒は豚肉を食べない。ベジタリアンは肉を食べない。アフリカの内陸部出身のメンバーの一人はタコと貝と魚も食べない。酒を飲まないメンツも多い。と言うようなことはではなかった。メンバーの多くはアジア、アフリカや中東などいわゆるグローバルな職場での実務経験がある。だからそういうありがちな食文化の違いには慣れっこだった。しかもここは食の都パリ。フレンチ、イタリアン、中華はもちろん、レバノンやシリアなどのイスラム圏の料理も多い。移民の多いアルジェリアやモロッコ料理などアフリカ系の店も街に溢れている。和食もインド、タイ、トルコも普通に食べることができる。ではなにが問題だったのか?それは「値段」だった。
パリみたいな物価の高い街で世界各国から集まったメンバーが一緒にゴハンを食べる場合、一番のハードルはは値段だ。軽くワインでも飲みながら晩飯を食べれば安く見積もっても20~30ユーロ(2500~3750円くらい)はかかる。これがナイロビあたりだったら一人5ユーロもあればビールとステーキでお腹いっぱいになるのだが。ここではそうはいかない。5ユーロだとコーラとポテトフライを買ったら終わってしまう。30ユーロは我々のような先進国の住人とっては大きな額でじゃないけれど。メンバーの中にはルワンダやシエラレオネといったアフリカの中でも経済的に厳しい国の出身者もいる。彼らにとって30ユーロは一週間の食事代よりも高いのだ。本部から幾ばくかのゴハン代補助は出ていたけれど。それでも彼らにとって晩飯代に毎回一週間分の支出を強いられるのは厳しい。たとえていうなら「ファミレスでパスタとコーヒーのセットを1万5000円だった(泣)」みたいな感じだろうか。
結果的に晩飯時になるとボクらはそれぞれの財布の中身に応じで、自然といくつかのグループに分かれていった。”財布が重い”チームはフレンチやモロッコ料理、たまにインド料理にもいってパリのレストランを堪能した。そして”財布が軽い”チームは近所のスーパーで食材を買い込んで自炊していた。まあ仕方ないといえば仕方ないんだけど。「同じ釜の飯を食う」文化圏でそだったボクとしては、ちょっとせつない。パリの晩ゴハンはちょっとしょっぱい味だった。