国境なき事務員 (国境なき医師団の事務員の現場レポート)

2018年、汐留の広告代理店から国際医療NPO「国境なき医師団」へ転職。現在、アドミニストレーター(事務員)としてケニアでのHIV対策プロジェクトで働いてます。尚、このブログはあくまで高多直晴の個人的な経験や考えを掲載しています。国境なき医師団の公式見解とは異なる場合もありますのでご了解ください。

自分の病気が何なのかよくわかる十五の夜

今日は日曜日ということで朝から地元との少年少女を100人ほど集めたHIV啓蒙活動に立ち会った。このイベントはEGPAF(エリザベス グレーシャー小児エイズ基金)とホーマベイの厚生省との共同開催で場所は農村地帯にある遠隔地の診療所だった。そこの広場で運動会と文化祭の混合みたいなイベントを実施。プログラムは綱引きやダンスそれにディベート大会など。簡単にいうと「みんなで仲良く遊んで、楽しくHIVについて学ぼう!」みたいな集会だ。

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ただ普通の運動会と違うのは参加者はみんなHIVキャリアの若者たちってところ。約100人近くの参加者が全員HIVキャリア。実はこの参加者全員がキャリアってところがポイントで。HIVの子供たちのタテと横のつながりを深めてもらい、同じ病気をもつ者でしか語れないような悩み、彼ら同士でしか築けないような関係をコーディネートすることが目的の一つだった。

前にも書いたけどボクの働くケニア、ホーマベイのHIVキャリアの割合は4人に1人。

これが日本のインフルエンザなら学級閉鎖になるレベルの割合だ。そして多くのHIVキャリアの若者たちはその事実を隠してたまま学校に通っている。なぜなら学校や地元で「深刻な差別」を受けるから。もちろん陰湿なイジメも、あからさまなイジメある。学校だけでなく地元社会や時には家族からも差別され見捨てられることもある。って...サクッと書いたけど、家族からも見捨てられちゃう場合って、どうなんマジで?(そこには複雑で深刻な事情がるんだけど、話が長くなるのでそれは次回にまわします。)

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診療所の壁には「どこでも、平等に、貧しい人にも、すべてのケニア人に効果的で質の高い医療を提供する」と標榜が書かれていた。

これは当の本人にとってはかなりキツイわけで。特に恋愛や結婚、自分の将来像をリアルに描くようになる思春期の若者にとってHIVキャリアであることはとても深刻。ちょっと想像してみてほしいでのだけれど。たとえばもしアナタが高校生だったとしてクラスの女子(または男子)がHIVキャリアだったらどうです?やっぱりキスとかSEXとかするのためらうよね?柔道の練習とかケンカとかするのもイヤだよね?もっとストレートに言えば怖いよね、たぶん。

逆にHIVの彼らからするといつも周囲の人間からそう思われてるってことで。友達や近所の人から"好き”とか”嫌い”じゃなくて”怖い”と思われる。そういう存在になってしまっているってこと。

尾崎豊はあの長編ロック「十五の夜」で

「自分の存在がなんなのか、わからなくなる十五の夜~」って歌ってたけど。

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思春期の若者の悩みなんて基本的には世界中だいたい同じだ。ただHIVの子はそこに「生きたい。」というのが加わる。

HIVの患者は基本的にARV(抗レトロウイルス薬)を毎晩(毎日)服用しなければならない。今日、参加していた若者たちは今夜も

「自分の病気がなんなのか、よくわかる十五の夜」

を過ごしてるんかな。

 そして次回のブログは今回のイベントで出会った「二人の少年の話」です。

それではまた。