国境なき事務員 (国境なき医師団の事務員の現場レポート)

2018年、汐留の広告代理店から国際医療NPO「国境なき医師団」へ転職。現在、アドミニストレーター(事務員)としてケニアでのHIV対策プロジェクトで働いてます。尚、このブログはあくまで高多直晴の個人的な経験や考えを掲載しています。国境なき医師団の公式見解とは異なる場合もありますのでご了解ください。

頑張れ、ケニアの出木杉くん!!

 今回もHIVキャリアの若者とちびっ子を対象にしたイベント"Young Adolescents Champion"で出会った若者の話。閉会式の一番最後のスピーチで、メルケデス(仮)は自分の生きてきたこれまでの半生を語ってくれた。

メルケデスはオサムと同じ18才。イベントで行われたディベート試合(テーマは避妊と家族計画は是か非か?)では豊富な知識と論理的な語り口で活躍するとても知的な若者だった。そしてイベントの他の若いメンバーへの気遣いも良くできてて、ドラえもんなら”出木杉くん”、俺ガイルなら”葉山”キャラといった印象で(あくまで個人的な見解)、参加者の中でも特に目立っていた。

f:id:st-maria1113:20180429023111p:plainf:id:st-maria1113:20180429023117p:plain(右が出木杉くん、左が葉山くん)

こちらも淡々とした語り口の中に日本では想像できない現実があった。

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先輩二人の話に熱心に聞き入る、同じくHIVキャリアの参加者たち。

◆メルケデス(仮)のスピーチ

みなさんこんにちは、メルケデスです。今日はこんなに素晴らしいイベントを開催くださり、主催者の皆様に感謝いたします。さて私の話をしたいと思います。

私は子供のころからHIVでした。母を幼い頃にHIVで母を亡くしました。父はその後、別の女性と再婚しました。再婚相手には連れ子がいました。再婚してしばらくして今度は父が死にました。HIVでした。あとに残されたのは継母、継母の連れ子の兄弟そして私でした。私は継母にはHIVキャリアであることを隠していました。家庭内で差別(イジメられる)されるのを恐れていたからです。抗HIV薬は毎日、隠れて服用していました。しかしある日、兄弟の一人が私のカバンの中から薬を見つけてしまいました。彼は継母に告口しました。私はなんとかごまかそうとしたのですが、ダメでした。それから家族全員から差別を受けるようになりました。

学校でも差別がありました。修学旅行の時です。私たちHIVキャリアの人は毎晩、薬を飲まなければいけません。その晩、私はトイレに行くふりをして部屋をでました。しかし運悪く、服用している現場を友達に見つかってしまいました。それから学校でも差別されるようになりました。家では家族から、学校では友達から差別を受ける。これはとてもつらい経験です。でも私はあきらめませんでした。高校では頑張って勉強して、大学の薬学部に入学できるだけの成績を収めることが出来ました。私の夢は薬学研究をおこないARV(抗レトロウイルス薬)の開発をすることです。いまやHIVは死を恐れる病気ではなくなりました。ただしそれはHIV薬(ARV)を服用しつづけることが条件です。私たちHIVキャリアには選択肢は二つしかありません。薬を飲みつづけるか、死ぬかです。ですから、皆さん。どんなにつらいことがあって、薬だけは飲み続けてください。そして僕のように自分の人生の目標をもって生きてください。私のスピーチは以上です。

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会場へは雨季でぬかるんだデコボコ道をトヨタランドクルーザー移動。平らな道がほとんどないので写真もブレブレ。車内が窮屈すぎてなんだか皆がハイテンション。

前回の”ばあちゃん”も相当ひどかったけど、今回の”継母”もかなりの強者だった。ただ継母にも言い分はあると思う。再婚相手の夫がすぐにHIVで死んでしまい、HIVの連れ子が残された。血のつながった自分の息子にも感染のリスクがある。(実際は適切に対応すればリスクはまずないのだけれど。)そんな中「なんで私がこの子をそだてなきゃなんないのよ。」と思っちゃうのは(ぜんぜんダメだけど)その心情はわからなくもない。とは言え、これはやっぱりやっちゃいイカン。再婚相手の子供を虐待するとかって日本を含めて世界中どこにでもころがってる話なんだけど。それでも、この辺りは事情が事情だけにその件数がやたらと多い。まったく気が滅入るぜ。

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頑張れ、ケニア出木杉くん!