国境なき事務員 (国境なき医師団の事務員の現場レポート)

2018年、汐留の広告代理店から国際医療NPO「国境なき医師団」へ転職。現在、アドミニストレーター(事務員)としてケニアでのHIV対策プロジェクトで働いてます。尚、このブログはあくまで高多直晴の個人的な経験や考えを掲載しています。国境なき医師団の公式見解とは異なる場合もありますのでご了解ください。

「タカタくん、来週からケニアに行ってくれるかしらん。」

勤務地の「HomaBay」で画像検索するとリゾートチックな写真がちらほら。

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とうとう「勤務先の内示・mission offer」メールが国境なき医師団の人事担当からやってきた。行先はケニア。内容はHIV対策プロジェクト、ボクの仕事は予算管理と人事業務全般で期間は9ケ月とのこと。

 同期で研修をうけた仲間の何人かは既に南スーダンやナイジェリア、それにイラクといった若干騒々しい所に派遣されている。それにくらべるとケニアはかなり安定(stable area)している方だ。しかも派遣先の病院はアフリカ最大の湖、ビクトリア湖の近くにあるHomaBayという町にあるらしい。さっそくHomaBayでgoogle 検索してみたらいきなり湖畔のリゾートホテルの写真がでてきた。「…なんか国境なき医師団のイメージと違うよ。」というのが第一印象。とはいえケニアも長くつづいた内戦や部族間抗争、テロ、隣国ソマリアからの難民問題など厳しい状況にあることは間違いない。首都ナイロビは外務省の危険情報ではレベル3の退避勧告になってるし。またHomaBayエリアのエイズ罹患率も非常に高いらしい(だからこそHIVプロジェクトをやってるんだけど)。

 そして一つだけ気になる点がある。それは出発が4月1日とメールに書かれてること。

でもって今日は3月23日。出発まで一週間ってこと。

「ってことはオレ来週の日曜日にケニアに赴任するのかしらん?」

覚悟はしていたけれど思っていたより若干、時間がない。ということで週明けの月曜日にまずは使い捨てコンタクトレンズと持病の「ぢの薬」を買いだめせねばなりませぬな。

 

ちょっと、しょっぱいゴハンの話

 

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(パリでは外食も楽しいけれど、たまにはこんな食材を使って自炊するのも楽しかったりする。)

 

「今日の晩メシどこに行く?」一日の研修が終わるとメンバーの一人がSNS"what's up"のグループでみんなに声掛けしてくる。さてさて楽しいゴハンの時間のはじまり。国境なき医師団の本部オフィスはフランス革命で有名なバステューユ広場の近くにある。パリの真ん中あたりだ。つまりうまい料理屋はそこらへんに溢れそていた。でも新人研修のメンバーにとって晩御飯はちょっとした問題だった。

 何が問題って?イスラム教徒は豚肉を食べない。ベジタリアンは肉を食べない。アフリカの内陸部出身のメンバーの一人はタコと貝と魚も食べない。酒を飲まないメンツも多い。と言うようなことはではなかった。メンバーの多くはアジア、アフリカや中東などいわゆるグローバルな職場での実務経験がある。だからそういうありがちな食文化の違いには慣れっこだった。しかもここは食の都パリ。フレンチ、イタリアン、中華はもちろん、レバノンやシリアなどのイスラム圏の料理も多い。移民の多いアルジェリアやモロッコ料理などアフリカ系の店も街に溢れている。和食もインド、タイ、トルコも普通に食べることができる。ではなにが問題だったのか?それは「値段」だった。

 パリみたいな物価の高い街で世界各国から集まったメンバーが一緒にゴハンを食べる場合、一番のハードルはは値段だ。軽くワインでも飲みながら晩飯を食べれば安く見積もっても20~30ユーロ(2500~3750円くらい)はかかる。これがナイロビあたりだったら一人5ユーロもあればビールとステーキでお腹いっぱいになるのだが。ここではそうはいかない。5ユーロだとコーラとポテトフライを買ったら終わってしまう。30ユーロは我々のような先進国の住人とっては大きな額でじゃないけれど。メンバーの中にはルワンダシエラレオネといったアフリカの中でも経済的に厳しい国の出身者もいる。彼らにとって30ユーロは一週間の食事代よりも高いのだ。本部から幾ばくかのゴハン代補助は出ていたけれど。それでも彼らにとって晩飯代に毎回一週間分の支出を強いられるのは厳しい。たとえていうなら「ファミレスでパスタとコーヒーのセットを1万5000円だった(泣)」みたいな感じだろうか。

 結果的に晩飯時になるとボクらはそれぞれの財布の中身に応じで、自然といくつかのグループに分かれていった。”財布が重い”チームはフレンチやモロッコ料理、たまにインド料理にもいってパリのレストランを堪能した。そして”財布が軽い”チームは近所のスーパーで食材を買い込んで自炊していた。まあ仕方ないといえば仕方ないんだけど。「同じ釜の飯を食う」文化圏でそだったボクとしては、ちょっとせつない。パリの晩ゴハンはちょっとしょっぱい味だった。

標的はセーブ・ザ・チルドレン(アフガニスタンでのテロ襲撃事件)

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1月24日、パリでの新人研修3日目。アフガニスタンからショッキングなニュースが飛び込んできた。「アフガニスタンにある海外援助団体のセーブ・ザ・チルドレンの事務所がIS(イスラム国)のロケット砲攻撃を受け、スタッフ3名(最終的には4名)の死亡が確認された」というのだ。

www.bbc.com

研修メンバーの間に「明日は我が身か?」というシリアスな空気が流れた。

 つい1ケ月間前までのボクなら「またアフガンでいつものテロが起こったな」と聞き流していたかもしれない。しかし今は置かれている状況がちがう。我々、新人メンバー自身も今後アフガニスタンに赴任する可能性があるからだ。さらに今回の研修には元アフガニスタン空軍パイロットから国境なき医師団に転職してきた参加メンバーもいる。彼の名はナジーブといいボクと同じアドミニストレーターだった。首都のカブールには小学生になる可愛い娘さんがいって写真を見せてくれた気のいいヤツだ。そして何より国境なき医師団は2015年10月に同じアフガニスタンでアメリカ空軍の爆撃(米国政府は誤爆と説明)を受けている。その爆撃では患者とスタッフあわせて42人が殺害された。東京のオフィスビルで働いていた一か月前までは他人事だった遠い国のテロ事件が突然、自分事になっていた。アフガンからのニュースは過去に「職場の先輩と患者さんが殺害され」「研修仲間が家族と共に暮らす街でおこっている」そして「これから自分もそのターゲットになるかもしれない」リアルな出来事としてズシリと腹の底に響いた。

(尚、アフガニスタンの首都カブールではこのテロの後、立て続けにISとタリバンによるテロが激化し、一週間で100名以上が殺害された。)

パリの新人研修はじまる

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国境なき医師団の海外派遣要員として採用されるとまずフランスの本部で行われる新人研修に参加しなければならない。 その後想定されるタフな派遣先(南スーダンバングラデッシュ、パプアニューギニアなどなど)と比べると「国境なき医師団」らしからぬ?ふらんすでの研修。彼の地に向かう機内では世界各国の美人の看護婦さんやお医者さんとどんなお勉強をするのかしらん?などとアホな妄想を抱いていたのだが。しかし実際の研修は当然のことながら「国境なき医師団」らしい、とてもリアルでシビアな内容だった。

 医療、非医療スタッフへだてなくすべての新人が参加するこの研修。国境なき医師団で働く海外スタッフはいきなり紛争地域や災害地域で即戦力になることを期待されている。新人といえども、参加メンバーはすでに何かしらの専門(得意)分野を持っている。例えば医師の場合は外科手術等の臨床経験とスキルが一定以上のレベルでなければならず、看護師も手術室看護士の経験者が多かった。そしてアドミニストレーターについていえば大手の自動車メーカーや銀行それに軍や国際機関の経験者などがいた。中にはニュージーランドの映画プロデューサーもいて、皆がなかなか面白いバックグラウンドをもっていた。とはいえ多くのメンバーは「10万人が暮らす難民キャンプ」や「銃弾が飛び交う内戦真っ盛りの国」で働いた経験はゼロだ。だから新人研修はそういう「難民キャンプ」や「内戦真っ盛り」の場所で即戦力になるためのトレーニングが行われた。

たとえば「ワクチンキャンペーンの移動中に政府軍の検問にひかかった場合のロールプレイ」とか「機関銃をもった強盗に事務所の金庫が襲われた時のマニュアル」とか「悪徳建築会社の水増し請求書の見破り方」とか。24年間のサラリーマン生活では一度も習ったことがないとても斬新な内容だった。

 美人の看護婦さんと楽しいお勉強とは少し違っていたけれど、この新人研修はいままでの人生で受けたどの研修よりもエキサイティングでチャレンジングだったことに間違いない。