国境なき事務員 (国境なき医師団の事務員の現場レポート)

2018年、汐留の広告代理店から国際医療NPO「国境なき医師団」へ転職。現在、アドミニストレーター(事務員)としてケニアでのHIV対策プロジェクトで働いてます。尚、このブログはあくまで高多直晴の個人的な経験や考えを掲載しています。国境なき医師団の公式見解とは異なる場合もありますのでご了解ください。

「私たちは(マジで)繁殖している」実は衝撃的な【人口増加率2.7%】の意味

週末、宿舎の本棚に古いペーパーバックがあったのでペラペラとめくってみた。開いていたのは2006年版のロンリープラネット「東アフリカ」(「地球の歩き方」のワールド版みたいな本)そこにこんな一文が載っていた。「ケニアの人口3150万人」おやおかしいな?去年のケニアの人口は約4800万人のハズ。たった約12年で3000万強の人口が1600万(約50%)も増えるわけないじゃん?不審に思ったのでちょっとググっと調べてみた。するとかなり「不都合な真実」がオンパレードで行進していた。まあ人口学とかに詳しい人なら常識かもしんなけいど。ボクの場合、アフリカの人口とかって今までの人生で接点なかったからとっても衝撃的だった。

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昔、バックパッカーやってたころお世話になった世界の名著「Lonely Planet

f:id:st-maria1113:20180509025050p:plainこちらはタイトルをパクらさせて頂いたの内田春菊の名著


で、突然だけど、今、地球上に人類が何人くらい生きているか知ってます?

正解はざっと76億人。下記統計によると今年に入ってから約4か月間で人類は48,571,451人生まれて、20,120,821死んだので、結果28,456,320人増えたそうです。4ヵ月で2800万人増えたってことは、一年で約1億1200万増えるってこと。日本1個分の人類が今年増えることになるんですねぇ。

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出展はコチラ:【ワールドメーター】

http://www.worldometers.info/world-population/

リアルタイムで「人類の今」がわかる面白い統計が並んでます。

 特に人口がめっちゃ増えているのがここアフリカの東側で。この10年の人口増加率は年平均で約2.7%。もしかして「2.7%なんてたいしたコトあれへんやん。」と思ったりしませんでしたか。実はコレ、けっこうな数字なんですよ。例えばお金に換算してみるとですね。元金100万円の場合、年利2.7%で運用したら10年後には130万円になってます(詳しくは下の複利計算表をごらんください。)。10年でざっと30%も増えちゃうんですね。ちなみに26年約2倍。日本の人口に置き換えた場合、今年生まれた赤ちゃんが大人になるころには総人口が軽く2億越えです。少子化問題年金問題も一気に解消ですねぇ。

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上は利息2.7%で運用したときの複利計算表。

 そして現在、アフリカの人口は12億8000万人。これを年利2.7%で複利計算にあてはめると10年後には約3億8千万人増えて16億7千万人になってるってこと。

f:id:st-maria1113:20180507041729p:plainそして人口が増えるって人類にとって意外と深刻。毎年日本一個分の1.2億以上の人類が増えると、その分の食糧消費もエネルギー消費もゴミもCO2もみんな増えますわな。現代の人類は途上国でもめちゃめちゃスゲー勢いで消費活動を行っているので、かなり危機的な数字だと思うんです。実際に20年前は美しく澄んだ水を讃えていたここビクトリア湖も急激な人口増加に伴う容赦ない排水汚染によってアオコが大量発生しちゃって、いまはドブ緑色になっちゃたりしているのを見るとホンマにヤバいなあと。

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ボクの住んでるホーマベイの海岸もつい最近までは子供たちが泳ぎ回る美しい湖だったらしいけれど、、、。

出展はコチラ:

http://ndhiwamaarifacentre.blogspot.co.ke/2011/03/lake-victoria-chokes-under-water.html

 ということで人類が増えるっていうのは21世紀の我々にとってはあまり喜ばしいニュースではないのですが。なんでそんなことになっちゃったのか?その理由はとてもシンプルでほぼこの2個にしぼられます。

その1:人があんまり死ななくなったからから。

特に20世紀後半からの乳幼児死亡率の劇的な改善と近代医学の発展によって人類の平均余命がめっちゃ伸びたから。

その2:母ちゃんが子供を生む数が減らない。

これまでの人類が生きてきた数百万年の歴史では、赤ん坊ははいくら生んでもその分、バンバンが死んでいたのでそれほど人口が増えなかったけど。ここ50年間で子供の死亡率は劇的に低下していて。でも出生率は下がってないから、そりゃあ増えるわな人類。(日本や北欧の少子化と人口減少はほんとに例外中の例外)

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ゴム飛びであそぶ近所のガキんちょたち。こういう子供らをみると小難しい理屈抜きで「がんばれよー」って思う。

そしてボク(国境なき事務員)としてはちょっと考えてしまう訳です。国連をはじめいろんな団体が頑張って乳幼児死亡率を下げている。そのことが直接的に地球規模の人口増加につながっているわけで。もちろん「人の命を救う。特に子供の命を救う」というのは、かなり基本的な人類共通の価値観なのでそこは否定しがたいのだけれど。我々人類はもう少し、というかあとだいぶん出生率の抑制について頑張らないと、ほんとエライことになると思わずにわおられない、そんな夜でございます。

参考HP: 国連人口基金(UNFPA) | 国連広報センター

世界最大の人口対策機関であるハズの国連人口基金UNFPA)の年間予算(2012年)は9億6200万ドルだったらしい。たったの1000億円。ちなみに鳥取県の2018年度予算は約3400億円。日本一人口の少ない鳥取県の1/3の執行予算で人類の危機は救えるんかのう。しかもこのWEBサイト、あのオシャレで意識高いカンジの青山にある国連の最高研究機関、国連大学の公式HPにも関わらず2012年から予算データの更新してないし。ホンマに大丈夫か?

 

そんなヤバい人類の未来を描いた名作がコチラ。

www.youtube.com

「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が経っていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。」ファーストガンダムの冒頭より)

 

 

おシャレでちょっと意識も高め。あの講談社「クーリエ・ジャポン」で掲載開始っス!

courrier.jp

今月からクーリエ・ジャポンというオンライン雑誌でボクのアフリカ・ケニア生活の記事を掲載してもらえるようになりました。クーリエ・ジャポン講談社さんのお洒落で知的なクオリティーペーパーということでココの個人BLOGと違って、エロ色とか政治色とかイロイロ抑え気味の内容になってます。これから月2-3回ほど掲載される予定なのでもしよければチラッと覗いて貰えると嬉しいです。世界中「こんなところに日本人」みたいなカンジで、いろんな人がいろんな国の記事あげてて、読んでて中々楽しいサイトになってます。

まちの「棺桶屋」でオーダーメイド家具を注文してみた

現地で入居した借り上げ社宅(シェアハウス)の部屋にはタンスがなかった。洗濯したあとの服を雑然と積んでおくのもなんとなく忍びなく。それに数は少ないけれど日本から持ってきた本も整理しておきたい。ということで部屋に本と服がおける棚を置くことにした。日本にいればアマゾンあたりでカラーボックスとかをポチッとすればいいのだけれど。ここケニアにはそんなものはない。街で売ってる既製品の家具はどれも新婚家具みたいな大き目のタンスとかが中心でしかも高い。さてどないしましょ。

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あらためて見ると我ながら衣類の量らホントに少ないぜ。ほぼ夏物だけでスーツも着ない生活だとコーディネートがめっちゃ楽っス。。

思案の末、近所の家具職人に部屋用の棚をオーダーすることにした。ただその前にまずは発注書(設計図)がいるなぁ。物差しとボールおペンを用意して事務所のコピー用紙に設計図を書き起こしてみた。新築でもないのにオーダー家具を発注するなんて、かなりウキウキだぜ。30数年前に中学の技術家庭科で習った工作図面の描き方がこんな所で役にたつとは。我ながら素晴らしい出来じゃないか?

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夏休みの工作みたいで、ウキウキ楽しい図面作りだった

そしてこちらが発注先の近所の家具屋さん、というよりか棺桶屋さん。お店の看板には「コーディンドー家具店・棺桶&よろず木工承ります」と書いてある。以前も書いたけれどボクの住んでるホーマベイには我が国境なき医師団も運営に関わってる、この辺りで一番大きな病院がある。つまりふつうの街に比べて棺桶の需要がとても多いのだ。なんとダウンタウンに行くと棺桶屋が軒を連ねる「棺桶通り」まであったりする。家具屋の多くが家具じゃなくて棺桶を作っているというのがなんともホーマベイらしい。そして腕もいらいらしい。

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これがダウンタウンにある「棺桶通り」人口2-3万の街なのにこの数はなんともなぁ。。

さていよいよ発注開始。店の職人さんと材質やら、色やら、値段やらを相談。結果、木

 目を活かした塗装なしの無垢材で仕上げてもらうことに。お値段は最初5000円っていわれたけど、交渉の結果4500円で成立。若干、高いかとおも思ったけれどケニアの人件費はそれほど安くないのでまあこんなもんかな。

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ボクの持ち込んだ精巧かつ大胆な設計図を見つめる棺桶職人の兄ちゃん。なぜか困り顔で「お客さん、こんな変な寸法でマジええのん?」と何度も聞かれた。

ちなみに棺桶の値段を聞いてみたら9000円からとのこと。あとは装飾次第で2万くらいまでだそうな。さてさて発注して4日後にできあがったのがこちら。素材は棺桶用と同じとのことで思いのほかしっかりした作りになった。表面もきっちりヤスリがけしてくれて、噂にたがわぬいい仕事だぜ。

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棚の上に飾ったのは不肖・宮島の「誰が為にワシは撮る」政治的なスタンスは若干異なるけれど、好きな写真家の一人だ。

ウチにかえってBOSEのスピーカー置いたみたら共鳴効果もばっちりで大満足の出来ばえでござった。家具をオーダーするなら棺桶屋にかぎるかも。 もしかしたら、その内ここで俺用の「桶」をオーダーなんてこともあったりして。曰く「人間至る処、棺桶あり」なんちって。

カネと魚と男と女 ケニアのラブホ事情

Are you work for FISH BUSINESS?

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港の近くで漁をする小型ボート。ちなみにエンジンはついていない。

ケニアではHIV検査の際、被験者の生活様式を把握するためにアンケート用紙が配布される。その中に気になる質問項目がった。それが冒頭に書いた「あなたは漁業関係者ですか?」という質問だ。どうしてHIV検査と漁業関係あるのかしらん?と思ったボクは同僚の医療コーディネーターにその理由を聞いてみた。「そうやなあ、日本人の高多にはこの質問はちょっと意外かもわからへんな。」といいつつ、彼女がHIVと漁業について説明してくれた。彼女の説明はおおよそ以下のようなものだった。

 (彼女の話がスワヒリ語なまりの英語だったので、なんとなく言葉使いを大阪弁っぽくしてみました。スンマセン。)

彼女曰く。

ビクトリア湖周辺の漁港はHIV感染の震源地みたいになっとんねん。なんでかって港に集まる魚売りの女の中にはな、仕入れ代金のかわりにカラダで支払うヤツがおんねん。しょーもない話なんやけどな。漁師(オトコ)の方も一発ヤラせてくれる魚売りには優先的にデカくてええ魚を渡すんや。特に若い女の魚売りの中には身体売って、魚を買うヤツも出てくんねん。相場はまあ一回千円程度、1FUCKで10FISHってとこやね。それにしても安いやろ。ほんで若い女が大きいヤツ持っていきよるから、港で小魚売ってんのは年増のおばちゃんが多いねん。それに漁師はボートで湖のまわりを移動するやろ。ほんでアイツらが媒介になってHIVをまき散らしとるっちゅうわけや。ホンマ、シャレにならんで。』

"10fish=1Fuck" って妙にゴロがいいなぁ。スゲー説明だったけどホンマかいな?にわかには信じがたい。もっと詳しい事情を調べたいと思って「HIV FISH BUSINESS」でググってみたら、まあ記事やら統計やらがバンバン出てきました。これってHIV業界の常識なの?みたいな状態です。たとえばこんな研究記事とか。

ビクトリア湖Fish for Sexからの脱出」

https://www.microfinance-lab.org/research/12/

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 ということで休みの日に近所の港にフィールドワークに行ってみた。といっても実際はただ散歩して写真撮っただけなんだが。

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この日、ボクが見た中で一番デカい魚を手にしていた若い魚売り。もちろんデカい魚を持った魚売り全員がセックスと交換で魚を購入しているわけではない。

港をうろうろ歩いているとき、なぜか矢野顕子の名曲ラーメン食べたいがリフレインしていた。男もつらいけど、女もつらいのよ♪

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魚の仕分けを仕切る漁師の兄ちゃん。もちろん漁師全員がセックスと引き換えにいい魚をあてがっている訳ではない。

今まで港には何回もいってたけど、そういう視点で再訪するともう港全体が色街に見えてくる。

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その日の生活がかかってるから、セリに参加する魚売りのおばちゃん達も真剣そのもの。

実際はそこまであからさまではないのだが、どことなく「男と女の欲望が渦巻く、オトナの世界」の様相に見える。そしてこれが港近くのラブホ。その名もブリーズホテル

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港側にカフェを兼業の受付があり、裏口をでるとその向こう側に個室がある。HOTELという文字がなければただのトタン小屋にしかみえんぞ!?いやまあHOTELの文字があってもただのトタン小屋なんだが。

「皆さん、ここでヤラれるんですか?」というのが正直な感想。

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ケニア国内でもこの地域のHIV罹患率が異常に高いのはこの漁業取引にも大きな原因がある。(ちなみにこの漁業とHIVの相関関係はケニアだけでなく、アジアを含めた世界的な傾向でもあるらしい。)こういう商取引(カネの代わりにカラダで払う)のは漁業だけでなく、この地域の基幹産業である砂糖工場でも行われているとのこと。身体をはって(売って?)生きるのは、個人的に一概に悪いとは思わないけれど。HIVを含めた命にかかわるウイルス感染とその拡大リスクを考えると代償が大きすぎる訳で、こういう場所と現実を目の当たりにすると、かなりの苛立たしさを覚えた。

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港にいたノラ犬。すぐ先のセリの喧騒を横目に道の真ん中でくつろいでいた。

こうなると、もう医者だけの仕事じゃなくねえか。HIV対策(特に予防)を含めた伝染病対策って、医療と並行して民俗学社会学それにミクロ経済学だっけ?あとマイクロファイナンス?とかとくわからんけどいろいろ統合的にアプローチせんといかんと解決できんよな。ということを今回のフィールドワークで実感した次第。もちろんWHOや各国政府、ウチの団体もそういう統合的なアプローチを試みてるんだけど。長年続いている文化的習慣って簡単に変わんないんだよね。とくに男と女に金からむともう理性じゃないところで人は動くからなぁ。

「売って無ければ作ってみよう!どうせなら獲ってみよう!」アクアパッツア編

ここケニア・ホーマベイにはレストランがない、、、ことはないが、あるのは基本ケニアケニア料理かケニア風インド料理しかない。せっかく新鮮な魚と野菜があるのだからたまにはパスタ以外の「イタリアン」とか食べたくなるっていうのが人情?というもの。あぁ久々に新橋O'keiの アクアパッツアとか食いてえなあ。ということで本日、日曜日なので漁に出かけた。(近所の市場で買ってもいいんだけど、それはおいといて。)行先はホーマベイからボートで1時間ほどのスクル島(Sukru island)。

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普段の職場とはかなり違う、どかな漁村に到着。

ウチの職場で警備を担当している地元出身のワイクリフが「良い穴場があるんすよ!」といって連れて行ってくれた人口200人がほどの漁師村だ。世界中そうなんかもしれないけれど、離島に住んでる人は概してフレンドリーで素朴だ。なんというか擦れてない。島に着くとまず村の子供たちが控えめな感じで近寄ってきた。

 

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島の子供たちは控えめというより怪しいアジア人のおっさんに不信感満載のご様子

それに続いて村のおっちゃんが「ニイちゃん、キロ200円でどうだ?」いって大きなナイルパーチを持ってきた。持った感じで5キロちょっとはありそう。「これ絶対、美味いよなあ。」と迷ったけれどさすがにデカすぎて調理に困るので遠慮した。

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漁師のおっちゃんが売りに持ってきたナイルパーチを借りて、あたかも自分の獲物ように記念撮影

それに今日の目的は魚を買いに来たのではなく、獲りに来たのだ。まずは自分でやってみよう!ということで島の反対側の入り江で釣りを開始。釣りといっても、そこら辺の木の枝に釣り糸を結び付けて針と枝に木に手製ウキをつけただけの釣りセット。つまり棒切れとウキと糸とハリだけ。エサはその辺のミミズ。しかも水深は70cmほど。これで釣れるんかいな?と思ったのだけれど、、、案の定ボウズだった。とは言え、隣では地元のにいちゃんが25cmくらいのティアピアを釣っていたので、一応ちゃんと釣れるらしい。弘法筆を選ばずというけれど、この条件で釣るのはさすが、漁師だぜ!

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これがビクトリア流、ティラピアの一本釣りだ!

早々に食材の自力確保をあきらめてプロから購入することに決定。浜の方でちょうど地引網をやってたのでそこでサクッとナイルパーチを二尾ゲット。しめて200円。

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獲れたてピチピチの魚たち

それにしても地引網というのはいつ見ても心が躍る。昔はサーフィンのついでによく鵠沼の地引網を覗いていたけれど、その時のワクワク感を思い出した。網にかかった大漁の魚というのは、太古の昔から引き継がれた本能(DAN)を無条件に刺激するんじゃないか思う。

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見た目はスズキに近いけど淡水魚のせいかウロコが細かくて剥がしにくかった。

さてウチにかえって早速、調理にとりかかる。 まずはオリーブオイル、ニンニク、唐辛子で下ごしらえして。魚は身が分厚いのでちょっとだけ小麦粉振りかけて塩コショウして。バジルを適当に振りかけて。焦げ目つけて、辛口の白ワインいれて。蓋して20分でできあがり。見た目と味を派手にするためにぶつ切りトマトソースをかけてみた。そして出来あがりがこちら。

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そしてナイルパーチのアクアパッツアの完成!

あまった白ワイン飲みながらボーッとと作ってたら、その間にスープがほとんど蒸発しちまった。ちなみにショートパスタは同僚&同居人のマイクの作品。素晴らしきかなケニアのサンデーランチ!

 

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間違えてパスタメインで撮影しちまった。この時点で料理ワイン飲みすぎてかなり酔ってます。

ところでマイクは家(シェアハウス)の中だと(イギリス人にありがちなスタイル?)基本トランクス一丁なので、テーブル写真をとると全裸にみえてしまうのだけれど、そこは無視してください。

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構図的にどーよ?と思うけどまあいっか。

それではまた!

頑張れ、ケニアの出木杉くん!!

 今回もHIVキャリアの若者とちびっ子を対象にしたイベント"Young Adolescents Champion"で出会った若者の話。閉会式の一番最後のスピーチで、メルケデス(仮)は自分の生きてきたこれまでの半生を語ってくれた。

メルケデスはオサムと同じ18才。イベントで行われたディベート試合(テーマは避妊と家族計画は是か非か?)では豊富な知識と論理的な語り口で活躍するとても知的な若者だった。そしてイベントの他の若いメンバーへの気遣いも良くできてて、ドラえもんなら”出木杉くん”、俺ガイルなら”葉山”キャラといった印象で(あくまで個人的な見解)、参加者の中でも特に目立っていた。

f:id:st-maria1113:20180429023111p:plainf:id:st-maria1113:20180429023117p:plain(右が出木杉くん、左が葉山くん)

こちらも淡々とした語り口の中に日本では想像できない現実があった。

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先輩二人の話に熱心に聞き入る、同じくHIVキャリアの参加者たち。

◆メルケデス(仮)のスピーチ

みなさんこんにちは、メルケデスです。今日はこんなに素晴らしいイベントを開催くださり、主催者の皆様に感謝いたします。さて私の話をしたいと思います。

私は子供のころからHIVでした。母を幼い頃にHIVで母を亡くしました。父はその後、別の女性と再婚しました。再婚相手には連れ子がいました。再婚してしばらくして今度は父が死にました。HIVでした。あとに残されたのは継母、継母の連れ子の兄弟そして私でした。私は継母にはHIVキャリアであることを隠していました。家庭内で差別(イジメられる)されるのを恐れていたからです。抗HIV薬は毎日、隠れて服用していました。しかしある日、兄弟の一人が私のカバンの中から薬を見つけてしまいました。彼は継母に告口しました。私はなんとかごまかそうとしたのですが、ダメでした。それから家族全員から差別を受けるようになりました。

学校でも差別がありました。修学旅行の時です。私たちHIVキャリアの人は毎晩、薬を飲まなければいけません。その晩、私はトイレに行くふりをして部屋をでました。しかし運悪く、服用している現場を友達に見つかってしまいました。それから学校でも差別されるようになりました。家では家族から、学校では友達から差別を受ける。これはとてもつらい経験です。でも私はあきらめませんでした。高校では頑張って勉強して、大学の薬学部に入学できるだけの成績を収めることが出来ました。私の夢は薬学研究をおこないARV(抗レトロウイルス薬)の開発をすることです。いまやHIVは死を恐れる病気ではなくなりました。ただしそれはHIV薬(ARV)を服用しつづけることが条件です。私たちHIVキャリアには選択肢は二つしかありません。薬を飲みつづけるか、死ぬかです。ですから、皆さん。どんなにつらいことがあって、薬だけは飲み続けてください。そして僕のように自分の人生の目標をもって生きてください。私のスピーチは以上です。

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会場へは雨季でぬかるんだデコボコ道をトヨタランドクルーザー移動。平らな道がほとんどないので写真もブレブレ。車内が窮屈すぎてなんだか皆がハイテンション。

前回の”ばあちゃん”も相当ひどかったけど、今回の”継母”もかなりの強者だった。ただ継母にも言い分はあると思う。再婚相手の夫がすぐにHIVで死んでしまい、HIVの連れ子が残された。血のつながった自分の息子にも感染のリスクがある。(実際は適切に対応すればリスクはまずないのだけれど。)そんな中「なんで私がこの子をそだてなきゃなんないのよ。」と思っちゃうのは(ぜんぜんダメだけど)その心情はわからなくもない。とは言え、これはやっぱりやっちゃいイカン。再婚相手の子供を虐待するとかって日本を含めて世界中どこにでもころがってる話なんだけど。それでも、この辺りは事情が事情だけにその件数がやたらと多い。まったく気が滅入るぜ。

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頑張れ、ケニア出木杉くん!

 

 

ぜんぜん笑えない「いじわるばあさん」の話。

日曜日に立ち会ったHIVキャリアの若者とちびっ子を対象にしたイベント"Young Adolescents Champion"(前号参照)で二人の少年に出会った。名前はオサム(仮)とメルケデス(仮)。彼らは閉会式のスピーチでこれまで生きてきた18年間を静かに淡々と語ってくれた。そして静かに語っていたその内容は凄まじかった。この手の話(言い方は悪いがお涙頂戴的な生い立ち話)に慣れているはずのケニア人医師マイケルもボクの隣で若干涙ぐみならがら話を聞いていた。

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イベントの閉会式。自分と同じHIVキャリアの若者や子供を前にスピーチするオサム(仮)

さて本題、オサムとメルケスは今年高校を卒業する予定の18才の歳の若者だ。

 彼らはイベントの閉会式で約100人の参加者(全員HIVキャリアの若者)を前にスピーチした。以下、彼らのスピーチをなるべく忠実に翻訳してみようと思う。とはいえスワヒリ語を交えた英語だったので、理解できた部分のみ抜粋してます。

 

◆まずはオサムのスピーチから

『僕は生まれた時からHIVポジティブでした。母がHIVキャリアだったからです。いわゆる母子感染でした。そして父は僕が生まれる前にエイズを発症して亡くなっていました。母も僕が生まれてから数か月後に死にました。3人兄弟だったのですが、僕一人だけがHIVポジティブでした。たぶん兄二人を妊娠したとき、まだ母はHIVキャリアではなかったのだと思います。

両親が死んでしまったので、しばらくして僕ら兄弟は祖母に引き取られました。祖母は僕がHIVであること知っていました。そのことで彼女からひどい差別を受けました。二人の兄とは全く違う扱いでした。そして僕がHIVの薬(ARV)飲むの見ると、僕の祖母はひどく怒ることがありました。理由はわかりません。それが嫌で小学生の時に薬をのむのをやめてしまいました。すると徐々に体内のHIVが増えていき体調が悪化しました。そして動くことすらつらい状態になりました。

それを見た祖母は「お前はもうすぐエイズで死ぬのだから、この家にいても仕方がない。病院にいっても無駄だ。死ぬまでケアハウス(エイズ患者のためのホスピス)で暮らした方がいい。」といって僕を家から追い出しました。ケアハウスに連れていかれたあとも病状は悪化するばかりでした。でも僕は死にたくなかった。本当に死ぬのが怖かった。だから一人でケアハウスを出て近くの病院に行きました。

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遠隔地診療所の一室。オサムもこんな診療所で診察を受けていた。

第一段階の薬はしばらく飲んでいなかったのでウイルスに耐性ができていてもう使えませんでした。そこで僕は第二段階のHIV薬(ARV)などの治療を受けることになりました。治療は運よく成功しHIVの数値は下がりました。ARVのおかげで僕は死なずにすみました。そして退院しました。でも帰るところがありません。病院の先生は仕方なく僕は祖母の家にもどしました。祖母は生きて帰ってきた僕をみて本当に驚きました。死んでいるはずの孫が元気に帰ってきたからです。その後はずっと祖母の家に住んでいます。そしてまた学校に通うようになりました。学校の先生たちはHIVにとても理解があり、いろいろな面で助けてくれます。先生のサポートもあり学校でHIVであることをカミングアウトしました。僕の場合はカミングアウトしてよかったと思っています。とにかく僕は今も生きています。皆さんに一つだけ言っておきたいことがあります。どうかHIV薬(ARV)をきちんと毎日飲んでください。どんなことがあっても飲み続けてください。もしすべてのARVへの耐性ができてしまったら死ぬしかないんです。そうならないために薬は飲み続けて下さい。僕のスピーチはこれで終わります。

以上。

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参加者みんなで輪になってダンス♪♪

オサムは特に感情的になることもなく、生まれてから18年の間に彼に降りかかった事実を淡々と語っていた。特に祖母への恨み節をいうでもなく、自分の人生を悲観するでもなく。でも最後のフレーズだけはとても力を込めて訴えていた。 真剣に耳を傾ける目の前の小学生から高校生の同世代の若者に向けて「薬をきちんと飲むように。そうじゃないとオレたち死んじゃうんだよ。」

いまブログ書きながら長谷川町子の「いじわるばあさん」ってマンガを思い出した。たまに度が過ぎるて全然笑えんヤツもあったなぁ、でも今回はちょっとレベルが違う。

ということで本日の教訓「天は自ら助くる者を助く」

次回は二人目の若者メルケデス(仮)のスピーチです。