国境なき事務員 (国境なき医師団の事務員の現場レポート)

2018年、汐留の広告代理店から国際医療NPO「国境なき医師団」へ転職。現在、アドミニストレーター(事務員)としてケニアでのHIV対策プロジェクトで働いてます。尚、このブログはあくまで高多直晴の個人的な経験や考えを掲載しています。国境なき医師団の公式見解とは異なる場合もありますのでご了解ください。

カネと魚と男と女 ケニアのラブホ事情

Are you work for FISH BUSINESS?

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港の近くで漁をする小型ボート。ちなみにエンジンはついていない。

ケニアではHIV検査の際、被験者の生活様式を把握するためにアンケート用紙が配布される。その中に気になる質問項目がった。それが冒頭に書いた「あなたは漁業関係者ですか?」という質問だ。どうしてHIV検査と漁業関係あるのかしらん?と思ったボクは同僚の医療コーディネーターにその理由を聞いてみた。「そうやなあ、日本人の高多にはこの質問はちょっと意外かもわからへんな。」といいつつ、彼女がHIVと漁業について説明してくれた。彼女の説明はおおよそ以下のようなものだった。

 (彼女の話がスワヒリ語なまりの英語だったので、なんとなく言葉使いを大阪弁っぽくしてみました。スンマセン。)

彼女曰く。

ビクトリア湖周辺の漁港はHIV感染の震源地みたいになっとんねん。なんでかって港に集まる魚売りの女の中にはな、仕入れ代金のかわりにカラダで支払うヤツがおんねん。しょーもない話なんやけどな。漁師(オトコ)の方も一発ヤラせてくれる魚売りには優先的にデカくてええ魚を渡すんや。特に若い女の魚売りの中には身体売って、魚を買うヤツも出てくんねん。相場はまあ一回千円程度、1FUCKで10FISHってとこやね。それにしても安いやろ。ほんで若い女が大きいヤツ持っていきよるから、港で小魚売ってんのは年増のおばちゃんが多いねん。それに漁師はボートで湖のまわりを移動するやろ。ほんでアイツらが媒介になってHIVをまき散らしとるっちゅうわけや。ホンマ、シャレにならんで。』

"10fish=1Fuck" って妙にゴロがいいなぁ。スゲー説明だったけどホンマかいな?にわかには信じがたい。もっと詳しい事情を調べたいと思って「HIV FISH BUSINESS」でググってみたら、まあ記事やら統計やらがバンバン出てきました。これってHIV業界の常識なの?みたいな状態です。たとえばこんな研究記事とか。

ビクトリア湖Fish for Sexからの脱出」

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 ということで休みの日に近所の港にフィールドワークに行ってみた。といっても実際はただ散歩して写真撮っただけなんだが。

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この日、ボクが見た中で一番デカい魚を手にしていた若い魚売り。もちろんデカい魚を持った魚売り全員がセックスと交換で魚を購入しているわけではない。

港をうろうろ歩いているとき、なぜか矢野顕子の名曲ラーメン食べたいがリフレインしていた。男もつらいけど、女もつらいのよ♪

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魚の仕分けを仕切る漁師の兄ちゃん。もちろん漁師全員がセックスと引き換えにいい魚をあてがっている訳ではない。

今まで港には何回もいってたけど、そういう視点で再訪するともう港全体が色街に見えてくる。

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その日の生活がかかってるから、セリに参加する魚売りのおばちゃん達も真剣そのもの。

実際はそこまであからさまではないのだが、どことなく「男と女の欲望が渦巻く、オトナの世界」の様相に見える。そしてこれが港近くのラブホ。その名もブリーズホテル

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港側にカフェを兼業の受付があり、裏口をでるとその向こう側に個室がある。HOTELという文字がなければただのトタン小屋にしかみえんぞ!?いやまあHOTELの文字があってもただのトタン小屋なんだが。

「皆さん、ここでヤラれるんですか?」というのが正直な感想。

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ケニア国内でもこの地域のHIV罹患率が異常に高いのはこの漁業取引にも大きな原因がある。(ちなみにこの漁業とHIVの相関関係はケニアだけでなく、アジアを含めた世界的な傾向でもあるらしい。)こういう商取引(カネの代わりにカラダで払う)のは漁業だけでなく、この地域の基幹産業である砂糖工場でも行われているとのこと。身体をはって(売って?)生きるのは、個人的に一概に悪いとは思わないけれど。HIVを含めた命にかかわるウイルス感染とその拡大リスクを考えると代償が大きすぎる訳で、こういう場所と現実を目の当たりにすると、かなりの苛立たしさを覚えた。

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港にいたノラ犬。すぐ先のセリの喧騒を横目に道の真ん中でくつろいでいた。

こうなると、もう医者だけの仕事じゃなくねえか。HIV対策(特に予防)を含めた伝染病対策って、医療と並行して民俗学社会学それにミクロ経済学だっけ?あとマイクロファイナンス?とかとくわからんけどいろいろ統合的にアプローチせんといかんと解決できんよな。ということを今回のフィールドワークで実感した次第。もちろんWHOや各国政府、ウチの団体もそういう統合的なアプローチを試みてるんだけど。長年続いている文化的習慣って簡単に変わんないんだよね。とくに男と女に金からむともう理性じゃないところで人は動くからなぁ。

「売って無ければ作ってみよう!どうせなら獲ってみよう!」アクアパッツア編

ここケニア・ホーマベイにはレストランがない、、、ことはないが、あるのは基本ケニアケニア料理かケニア風インド料理しかない。せっかく新鮮な魚と野菜があるのだからたまにはパスタ以外の「イタリアン」とか食べたくなるっていうのが人情?というもの。あぁ久々に新橋O'keiの アクアパッツアとか食いてえなあ。ということで本日、日曜日なので漁に出かけた。(近所の市場で買ってもいいんだけど、それはおいといて。)行先はホーマベイからボートで1時間ほどのスクル島(Sukru island)。

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普段の職場とはかなり違う、どかな漁村に到着。

ウチの職場で警備を担当している地元出身のワイクリフが「良い穴場があるんすよ!」といって連れて行ってくれた人口200人がほどの漁師村だ。世界中そうなんかもしれないけれど、離島に住んでる人は概してフレンドリーで素朴だ。なんというか擦れてない。島に着くとまず村の子供たちが控えめな感じで近寄ってきた。

 

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島の子供たちは控えめというより怪しいアジア人のおっさんに不信感満載のご様子

それに続いて村のおっちゃんが「ニイちゃん、キロ200円でどうだ?」いって大きなナイルパーチを持ってきた。持った感じで5キロちょっとはありそう。「これ絶対、美味いよなあ。」と迷ったけれどさすがにデカすぎて調理に困るので遠慮した。

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漁師のおっちゃんが売りに持ってきたナイルパーチを借りて、あたかも自分の獲物ように記念撮影

それに今日の目的は魚を買いに来たのではなく、獲りに来たのだ。まずは自分でやってみよう!ということで島の反対側の入り江で釣りを開始。釣りといっても、そこら辺の木の枝に釣り糸を結び付けて針と枝に木に手製ウキをつけただけの釣りセット。つまり棒切れとウキと糸とハリだけ。エサはその辺のミミズ。しかも水深は70cmほど。これで釣れるんかいな?と思ったのだけれど、、、案の定ボウズだった。とは言え、隣では地元のにいちゃんが25cmくらいのティアピアを釣っていたので、一応ちゃんと釣れるらしい。弘法筆を選ばずというけれど、この条件で釣るのはさすが、漁師だぜ!

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これがビクトリア流、ティラピアの一本釣りだ!

早々に食材の自力確保をあきらめてプロから購入することに決定。浜の方でちょうど地引網をやってたのでそこでサクッとナイルパーチを二尾ゲット。しめて200円。

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獲れたてピチピチの魚たち

それにしても地引網というのはいつ見ても心が躍る。昔はサーフィンのついでによく鵠沼の地引網を覗いていたけれど、その時のワクワク感を思い出した。網にかかった大漁の魚というのは、太古の昔から引き継がれた本能(DAN)を無条件に刺激するんじゃないか思う。

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見た目はスズキに近いけど淡水魚のせいかウロコが細かくて剥がしにくかった。

さてウチにかえって早速、調理にとりかかる。 まずはオリーブオイル、ニンニク、唐辛子で下ごしらえして。魚は身が分厚いのでちょっとだけ小麦粉振りかけて塩コショウして。バジルを適当に振りかけて。焦げ目つけて、辛口の白ワインいれて。蓋して20分でできあがり。見た目と味を派手にするためにぶつ切りトマトソースをかけてみた。そして出来あがりがこちら。

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そしてナイルパーチのアクアパッツアの完成!

あまった白ワイン飲みながらボーッとと作ってたら、その間にスープがほとんど蒸発しちまった。ちなみにショートパスタは同僚&同居人のマイクの作品。素晴らしきかなケニアのサンデーランチ!

 

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間違えてパスタメインで撮影しちまった。この時点で料理ワイン飲みすぎてかなり酔ってます。

ところでマイクは家(シェアハウス)の中だと(イギリス人にありがちなスタイル?)基本トランクス一丁なので、テーブル写真をとると全裸にみえてしまうのだけれど、そこは無視してください。

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構図的にどーよ?と思うけどまあいっか。

それではまた!

頑張れ、ケニアの出木杉くん!!

 今回もHIVキャリアの若者とちびっ子を対象にしたイベント"Young Adolescents Champion"で出会った若者の話。閉会式の一番最後のスピーチで、メルケデス(仮)は自分の生きてきたこれまでの半生を語ってくれた。

メルケデスはオサムと同じ18才。イベントで行われたディベート試合(テーマは避妊と家族計画は是か非か?)では豊富な知識と論理的な語り口で活躍するとても知的な若者だった。そしてイベントの他の若いメンバーへの気遣いも良くできてて、ドラえもんなら”出木杉くん”、俺ガイルなら”葉山”キャラといった印象で(あくまで個人的な見解)、参加者の中でも特に目立っていた。

f:id:st-maria1113:20180429023111p:plainf:id:st-maria1113:20180429023117p:plain(右が出木杉くん、左が葉山くん)

こちらも淡々とした語り口の中に日本では想像できない現実があった。

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先輩二人の話に熱心に聞き入る、同じくHIVキャリアの参加者たち。

◆メルケデス(仮)のスピーチ

みなさんこんにちは、メルケデスです。今日はこんなに素晴らしいイベントを開催くださり、主催者の皆様に感謝いたします。さて私の話をしたいと思います。

私は子供のころからHIVでした。母を幼い頃にHIVで母を亡くしました。父はその後、別の女性と再婚しました。再婚相手には連れ子がいました。再婚してしばらくして今度は父が死にました。HIVでした。あとに残されたのは継母、継母の連れ子の兄弟そして私でした。私は継母にはHIVキャリアであることを隠していました。家庭内で差別(イジメられる)されるのを恐れていたからです。抗HIV薬は毎日、隠れて服用していました。しかしある日、兄弟の一人が私のカバンの中から薬を見つけてしまいました。彼は継母に告口しました。私はなんとかごまかそうとしたのですが、ダメでした。それから家族全員から差別を受けるようになりました。

学校でも差別がありました。修学旅行の時です。私たちHIVキャリアの人は毎晩、薬を飲まなければいけません。その晩、私はトイレに行くふりをして部屋をでました。しかし運悪く、服用している現場を友達に見つかってしまいました。それから学校でも差別されるようになりました。家では家族から、学校では友達から差別を受ける。これはとてもつらい経験です。でも私はあきらめませんでした。高校では頑張って勉強して、大学の薬学部に入学できるだけの成績を収めることが出来ました。私の夢は薬学研究をおこないARV(抗レトロウイルス薬)の開発をすることです。いまやHIVは死を恐れる病気ではなくなりました。ただしそれはHIV薬(ARV)を服用しつづけることが条件です。私たちHIVキャリアには選択肢は二つしかありません。薬を飲みつづけるか、死ぬかです。ですから、皆さん。どんなにつらいことがあって、薬だけは飲み続けてください。そして僕のように自分の人生の目標をもって生きてください。私のスピーチは以上です。

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会場へは雨季でぬかるんだデコボコ道をトヨタランドクルーザー移動。平らな道がほとんどないので写真もブレブレ。車内が窮屈すぎてなんだか皆がハイテンション。

前回の”ばあちゃん”も相当ひどかったけど、今回の”継母”もかなりの強者だった。ただ継母にも言い分はあると思う。再婚相手の夫がすぐにHIVで死んでしまい、HIVの連れ子が残された。血のつながった自分の息子にも感染のリスクがある。(実際は適切に対応すればリスクはまずないのだけれど。)そんな中「なんで私がこの子をそだてなきゃなんないのよ。」と思っちゃうのは(ぜんぜんダメだけど)その心情はわからなくもない。とは言え、これはやっぱりやっちゃいイカン。再婚相手の子供を虐待するとかって日本を含めて世界中どこにでもころがってる話なんだけど。それでも、この辺りは事情が事情だけにその件数がやたらと多い。まったく気が滅入るぜ。

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頑張れ、ケニア出木杉くん!

 

 

ぜんぜん笑えない「いじわるばあさん」の話。

日曜日に立ち会ったHIVキャリアの若者とちびっ子を対象にしたイベント"Young Adolescents Champion"(前号参照)で二人の少年に出会った。名前はオサム(仮)とメルケデス(仮)。彼らは閉会式のスピーチでこれまで生きてきた18年間を静かに淡々と語ってくれた。そして静かに語っていたその内容は凄まじかった。この手の話(言い方は悪いがお涙頂戴的な生い立ち話)に慣れているはずのケニア人医師マイケルもボクの隣で若干涙ぐみならがら話を聞いていた。

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イベントの閉会式。自分と同じHIVキャリアの若者や子供を前にスピーチするオサム(仮)

さて本題、オサムとメルケスは今年高校を卒業する予定の18才の歳の若者だ。

 彼らはイベントの閉会式で約100人の参加者(全員HIVキャリアの若者)を前にスピーチした。以下、彼らのスピーチをなるべく忠実に翻訳してみようと思う。とはいえスワヒリ語を交えた英語だったので、理解できた部分のみ抜粋してます。

 

◆まずはオサムのスピーチから

『僕は生まれた時からHIVポジティブでした。母がHIVキャリアだったからです。いわゆる母子感染でした。そして父は僕が生まれる前にエイズを発症して亡くなっていました。母も僕が生まれてから数か月後に死にました。3人兄弟だったのですが、僕一人だけがHIVポジティブでした。たぶん兄二人を妊娠したとき、まだ母はHIVキャリアではなかったのだと思います。

両親が死んでしまったので、しばらくして僕ら兄弟は祖母に引き取られました。祖母は僕がHIVであること知っていました。そのことで彼女からひどい差別を受けました。二人の兄とは全く違う扱いでした。そして僕がHIVの薬(ARV)飲むの見ると、僕の祖母はひどく怒ることがありました。理由はわかりません。それが嫌で小学生の時に薬をのむのをやめてしまいました。すると徐々に体内のHIVが増えていき体調が悪化しました。そして動くことすらつらい状態になりました。

それを見た祖母は「お前はもうすぐエイズで死ぬのだから、この家にいても仕方がない。病院にいっても無駄だ。死ぬまでケアハウス(エイズ患者のためのホスピス)で暮らした方がいい。」といって僕を家から追い出しました。ケアハウスに連れていかれたあとも病状は悪化するばかりでした。でも僕は死にたくなかった。本当に死ぬのが怖かった。だから一人でケアハウスを出て近くの病院に行きました。

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遠隔地診療所の一室。オサムもこんな診療所で診察を受けていた。

第一段階の薬はしばらく飲んでいなかったのでウイルスに耐性ができていてもう使えませんでした。そこで僕は第二段階のHIV薬(ARV)などの治療を受けることになりました。治療は運よく成功しHIVの数値は下がりました。ARVのおかげで僕は死なずにすみました。そして退院しました。でも帰るところがありません。病院の先生は仕方なく僕は祖母の家にもどしました。祖母は生きて帰ってきた僕をみて本当に驚きました。死んでいるはずの孫が元気に帰ってきたからです。その後はずっと祖母の家に住んでいます。そしてまた学校に通うようになりました。学校の先生たちはHIVにとても理解があり、いろいろな面で助けてくれます。先生のサポートもあり学校でHIVであることをカミングアウトしました。僕の場合はカミングアウトしてよかったと思っています。とにかく僕は今も生きています。皆さんに一つだけ言っておきたいことがあります。どうかHIV薬(ARV)をきちんと毎日飲んでください。どんなことがあっても飲み続けてください。もしすべてのARVへの耐性ができてしまったら死ぬしかないんです。そうならないために薬は飲み続けて下さい。僕のスピーチはこれで終わります。

以上。

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参加者みんなで輪になってダンス♪♪

オサムは特に感情的になることもなく、生まれてから18年の間に彼に降りかかった事実を淡々と語っていた。特に祖母への恨み節をいうでもなく、自分の人生を悲観するでもなく。でも最後のフレーズだけはとても力を込めて訴えていた。 真剣に耳を傾ける目の前の小学生から高校生の同世代の若者に向けて「薬をきちんと飲むように。そうじゃないとオレたち死んじゃうんだよ。」

いまブログ書きながら長谷川町子の「いじわるばあさん」ってマンガを思い出した。たまに度が過ぎるて全然笑えんヤツもあったなぁ、でも今回はちょっとレベルが違う。

ということで本日の教訓「天は自ら助くる者を助く」

次回は二人目の若者メルケデス(仮)のスピーチです。

自分の病気が何なのかよくわかる十五の夜

今日は日曜日ということで朝から地元との少年少女を100人ほど集めたHIV啓蒙活動に立ち会った。このイベントはEGPAF(エリザベス グレーシャー小児エイズ基金)とホーマベイの厚生省との共同開催で場所は農村地帯にある遠隔地の診療所だった。そこの広場で運動会と文化祭の混合みたいなイベントを実施。プログラムは綱引きやダンスそれにディベート大会など。簡単にいうと「みんなで仲良く遊んで、楽しくHIVについて学ぼう!」みたいな集会だ。

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ただ普通の運動会と違うのは参加者はみんなHIVキャリアの若者たちってところ。約100人近くの参加者が全員HIVキャリア。実はこの参加者全員がキャリアってところがポイントで。HIVの子供たちのタテと横のつながりを深めてもらい、同じ病気をもつ者でしか語れないような悩み、彼ら同士でしか築けないような関係をコーディネートすることが目的の一つだった。

前にも書いたけどボクの働くケニア、ホーマベイのHIVキャリアの割合は4人に1人。

これが日本のインフルエンザなら学級閉鎖になるレベルの割合だ。そして多くのHIVキャリアの若者たちはその事実を隠してたまま学校に通っている。なぜなら学校や地元で「深刻な差別」を受けるから。もちろん陰湿なイジメも、あからさまなイジメある。学校だけでなく地元社会や時には家族からも差別され見捨てられることもある。って...サクッと書いたけど、家族からも見捨てられちゃう場合って、どうなんマジで?(そこには複雑で深刻な事情がるんだけど、話が長くなるのでそれは次回にまわします。)

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診療所の壁には「どこでも、平等に、貧しい人にも、すべてのケニア人に効果的で質の高い医療を提供する」と標榜が書かれていた。

これは当の本人にとってはかなりキツイわけで。特に恋愛や結婚、自分の将来像をリアルに描くようになる思春期の若者にとってHIVキャリアであることはとても深刻。ちょっと想像してみてほしいでのだけれど。たとえばもしアナタが高校生だったとしてクラスの女子(または男子)がHIVキャリアだったらどうです?やっぱりキスとかSEXとかするのためらうよね?柔道の練習とかケンカとかするのもイヤだよね?もっとストレートに言えば怖いよね、たぶん。

逆にHIVの彼らからするといつも周囲の人間からそう思われてるってことで。友達や近所の人から"好き”とか”嫌い”じゃなくて”怖い”と思われる。そういう存在になってしまっているってこと。

尾崎豊はあの長編ロック「十五の夜」で

「自分の存在がなんなのか、わからなくなる十五の夜~」って歌ってたけど。

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思春期の若者の悩みなんて基本的には世界中だいたい同じだ。ただHIVの子はそこに「生きたい。」というのが加わる。

HIVの患者は基本的にARV(抗レトロウイルス薬)を毎晩(毎日)服用しなければならない。今日、参加していた若者たちは今夜も

「自分の病気がなんなのか、よくわかる十五の夜」

を過ごしてるんかな。

 そして次回のブログは今回のイベントで出会った「二人の少年の話」です。

それではまた。

牛肉100g/37円、日清のインスタントラーメン30円、マンゴーなんと10円だぜ!

「今日のおかずは何にしようかしらん♪」

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これは事務所の給食ランチ。本日のメニューは「ウガリと煮干しの和え物ビクトリア風、ケニアの旬菜をそえて」みたいな。


夕方5時過ぎて仕事終わりが近づくと晩メシのことが気になりはじめる。ストレス解消には美味い料理を作って、食べる。海外にいるとなんと言ってもこれが一番。

 アフリカの田舎町でちゃんとした食材なんて手に入るの?と思ったそこのアナタ。ケニアをあなどってはいけませぬ。かくいうボクも赴任する前は食材には苦労するだろうと思ってたんだけど。それがなんとケニアは食材の王国だった。牛肉100g37円、アボガド1個50円、30円、甘くないマンゴーなら10円だ!ロシア産のキャビアとか松坂牛が食いてえ!とかワガママを言わなければ大概の食材が手に入るじゃないか?

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平日のお昼前、学校行かずに事務所の前の路上で全然甘くないマンゴーを売っている少年。人生、いろいろ甘くないぜ。

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こんなカンジで塩ふって。これがケニア名物、10円マンゴーの食べ方だそうな。

 さて仕事が終わって地元の市場にいくと、、、。

肉なら牛、鶏、山羊、羊、それに豚。魚はビクトリア湖から新鮮な白身魚ティラピアや巨大魚ナイルパーチが水揚げされてきてて。それに山盛りの煮干しも売ってある!野菜は人参、ジャガイモ、トマトに玉ねぎといった王道野菜から味噌汁には欠かせないネギ、それに生姜やパクチーが。果物はまさにパラダイス。アボガド、マンゴーなど南国系の主力商品をはじめ珍しいとこではグゥワバもある。もちろんバナナやオレンジも。ちなみに酒はワインなら南アフリカ産が普通に売ってて、大きい街ならチリ産やフランス産もあって。ビールはTASKERってヤツがかなりイケてる。

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こちらが回転寿司でよく(原型はとどめていないけれど)目にする白身魚ティラピア。見た目も味も、ほぼ鯛ですな、これは。。

加えて東アフリカはスパイスがめっちゃ豊富。理由は印僑とよばれるインド商人が昔から頑張ってるから。彼らが運んでくるインド、アジア系のスパイスはまさに本格派で、スーパーに行くとお惣菜コーナーにチャパティーやタンドリー?チキンが並んでて。おまけに日清のインスタントラーメン(カレー風味)も売ってたりする。でかしたインド商人魂!!

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これがケニアのインスタントラーメン!それにしても日清さんこのパッケージデザインどーなのよ???

そして何と言っても極めつけはお米。「これって日本のお米じゃん!?」と思えるような、いわゆる短粒米を売ってる!ありがとう、でかしたのお百姓さん!!

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そしてこちらがケニア版インスタントラーメンの出来上がり。

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こちらが100g37円の牛肉でつくったカレーライス。うーむ我ながら上出来だ。


ということで日本人の2大ソウル・フード「カレーライス」と「インスタントラーメン」も作り放題なんす。これでハウスのプライム・ジャワでもあれば最高なんだけどなあ。

 

 

結婚9年目で19才で5人の子持ちですけど、、、何か?

その日のボクは4回のHIV検査に立ち会った。

案内役の同僚から「次の被験者の部屋にいってみる?」といわれ検査スペースの中に入った。目のまえの二人はとても仲良さげに手を握っているカップルが座っている。

 名前はジョセフ(仮)とエリザベス(仮)。結婚して9年目のカップルとのこと。

ジョセフは現在23才、エリザベスは19才、なんと5人の子持ちらしい。いろいろと早いのね。まあここはケニアだからなぁ。

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検査を受けに来た若夫婦、ジョセフ(仮)とエリザベス(仮)

コーディネーターが説明を続ける。

「さっき検査結果が出て、奥さんの方だけHIVポジティブ(陽性)だったのよ。それでも二人とっはてもポジティブ(前向き)よ。」(えっ、この場でダジャレですか?)人口の4人に1人がHIVのこの町ならそう珍しい話ではないかもしれないけれど。ボクには人生初の体験。19才の人妻(5人の子持ち)が目の前の検査でHIVポジティブになった。その直後、当事者の夫婦と会話するなんていままでの人生では一度もなかった。ボクもコーディネーターにならって気の利いたジョークでもと思ったけれど。まあ普段できないことは、緊急事態でもできない訳で。でも沈黙は気まずいので無理くりエリザベスに「やっぱり婚約の時は夫の家族から牛もらったの?」と質問してみた。(ちなみにケニアでは婚約には男性から牛を贈る習慣があるんですよ)

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こちらが婚約の時贈られる牛(あくまでイメージ)昔々、奥さんの実家(石川県能登地方)に氷見のブリ贈ったけど、そういうカンジか?

「ウチは貧乏だから3頭だった。」とジョセフが答える。

コーディネーターが「貧乏な家の子ほど早くに結婚するのよね。婚約費用が安いから。」と付け加える。10才で牛三頭と引き換えに結婚して、その後5人子供産んで、19歳でHIVになって。凄いよ、エリザベス。ここがケニアといっても、それは凄い。そしてとりあえず夫婦仲はいいみたいだし。それが救いだぜ。

その後、二人はコーディネーターから今後の生活についていろいろ指南を受けていた。

たとえばこんな話カンジで。

ーエリザベスはできるだけ早く近くの病院で精密検査を受けるように。

ー五人の子供にも、きちんとHIV検査を受けさせるように

ー処方されるARV(抗レトロウイルス薬)はきちんと飲むように。

ー今後セックスするときは必ずコンドームをつけるように!

ーもし6人目の子供が欲しくなったら医師に相談するように。

などなど。

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クライアント(被験者)から採血するコーディネーター

一通り、説明を受けた夫婦は帰り支度を始めた。

「今日は貴重な時間をありがとう。」

隣にいた英国人医師のマイクが二人に別れの言葉をかけた。そして握手をした。

続いてボクも握手をした。HIVテストは指先から採血をするので、妻のエリザベスとの握手には一瞬ひるんだ。でもまあ隣のHIV専門医が握手をしているんだから心配ないのだろう。最後にエリザベスの手の感触がとても普通だったのが印象に残った。

 ちなみに採血は基本的に左手でおこないます。そしてケニアで握手をする場合はかならず右手でやります。